十分の一

持ち物の十のうち、一つを天のお父様に捧げることは宗教の儀式であり、祝福の声や福音の思想ではない。

福音とは、天のお父様の持ち物である十の中から、九つを私が使うことができるように許してくださっていることを言う。
これが聖書のいう十分の一、マハセルのまことの教訓である。

私は、私の十の中から一つをささげるために数えきれないくらいの努力をし、数えきれないくらいに祈る。「尊い主に対する愛を表現しなければ呪われる」という律法に、日々歪曲させている。
主が私の十分の一を受けられ、喜ばれない日もまことに多かったことだろう。それなのに喜びをもって、不完全なものとして受け入れてくださったあの方の赦しを考えるたびに、福音の波が私の霊魂に響きわたる。

福音を知りながらも、苦しまなければならない私の霊魂の悲しみを私は知りません。だから「私が主を愛することを主がご存知です。」と毎日告白します。
主はいつまでも私の力であられます。私は本当に主を愛します。

ウェソル(外松)テモテ朴