生命

目に見える物体だけに形、大きさ、重さがあるのではなく、目に見えない愛、名誉、権力、憎しみなどにも人間の内側にある鏡で重さ、大きさを見計らうことができる。

この世のすべてのものは有形、無形は関係なしに、「大きい」「小さい」「貴い」「重い」など、その大きさを表現できる。

ただ有形なものは正確な測量が可能なので判断しやすいが、無形なものはそうできず、ただ良い関係、貴い関係、悪い関係、難しい関係などを人間史が生み出し、泣かせ、笑わせる。

実際は物質的なものより、非物質的なものが人間の尊厳、生命、人格体に大きな影響を与える。

私たちが泣いても笑っても絶対に避けることのできない「死」を迎えるとき、測定することを疎かにしていた非常に貴重なものを悟り、骨身にしみる悔恨をする。

それはまさに「生命」である。

それはあまりに大きく、あまりに重いので、測量できる秤がないと言って、測量してこなかった。

一人の生命、一人の存在の大きさは、世界よりも大きく、宇宙よりも重いと語られた主イエスは、わたしたちの生命よりも限りなく大きなお方である。

ただあの方だけが、私たちの生命の貴さを測られ、その価値を知り、代わりに死なれた。

流れる涙を止めることができない。

主よ、心から感謝します。 私と御国教会の聖徒は主を愛します。

ウェソル(外松)テモテ朴

十分の一

持ち物の十のうち、一つを天のお父様に捧げることは宗教の儀式であり、祝福の声や福音の思想ではない。

福音とは、天のお父様の持ち物である十の中から、九つを私が使うことができるように許してくださっていることを言う。
これが聖書のいう十分の一、マハセルのまことの教訓である。

私は、私の十の中から一つをささげるために数えきれないくらいの努力をし、数えきれないくらいに祈る。「尊い主に対する愛を表現しなければ呪われる」という律法に、日々歪曲させている。
主が私の十分の一を受けられ、喜ばれない日もまことに多かったことだろう。それなのに喜びをもって、不完全なものとして受け入れてくださったあの方の赦しを考えるたびに、福音の波が私の霊魂に響きわたる。

福音を知りながらも、苦しまなければならない私の霊魂の悲しみを私は知りません。だから「私が主を愛することを主がご存知です。」と毎日告白します。
主はいつまでも私の力であられます。私は本当に主を愛します。

ウェソル(外松)テモテ朴