目に見える物体だけに形、大きさ、重さがあるのではなく、目に見えない愛、名誉、権力、憎しみなどにも人間の内側にある鏡で重さ、大きさを見計らうことができる。
この世のすべてのものは有形、無形は関係なしに、「大きい」「小さい」「貴い」「重い」など、その大きさを表現できる。
ただ有形なものは正確な測量が可能なので判断しやすいが、無形なものはそうできず、ただ良い関係、貴い関係、悪い関係、難しい関係などを人間史が生み出し、泣かせ、笑わせる。
実際は物質的なものより、非物質的なものが人間の尊厳、生命、人格体に大きな影響を与える。
私たちが泣いても笑っても絶対に避けることのできない「死」を迎えるとき、測定することを疎かにしていた非常に貴重なものを悟り、骨身にしみる悔恨をする。
それはまさに「生命」である。
それはあまりに大きく、あまりに重いので、測量できる秤がないと言って、測量してこなかった。
一人の生命、一人の存在の大きさは、世界よりも大きく、宇宙よりも重いと語られた主イエスは、わたしたちの生命よりも限りなく大きなお方である。
ただあの方だけが、私たちの生命の貴さを測られ、その価値を知り、代わりに死なれた。
流れる涙を止めることができない。
主よ、心から感謝します。 私と御国教会の聖徒は主を愛します。
ウェソル(外松)テモテ朴